車業界の違和感

日本の自動車業界の量産設計部は工場と言っていい。設計工場なのだ。大量生産のモノづくりのやり方をそのままアルゴリズム開発に持ってきて悉く失敗する。専門性、向き不向き構わず、人が足りなければ単なる労働力として人を持ってきて、一箇所に固めてたくさん喋ってベラベラワーワーやらせれば、高度なアルゴリズム開発ができる、何でも乗り越えられる、と桁外れに勘違い。大量生産のモノづくりは今までそれでうまくできたかもしれないが、アルゴリズム開発にそれは通用しないのだ。

なぜ言われたことしかできないようになるのか 納期編

(~"なぜそーゆー風なのか"視点で書くシリーズ~)

不確定な新規要素があっても事細かに期限を厳しくフォローされる
納期の遅れにものすごい責任が問われる
 ↓
自分の裁量で自由に変えることが納期の遅れになる
当然、そんなことは悪い事である、と指さされる
 ↓
そんなのは嫌なので~自己防衛のために~
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自分で融通を利かせて考えるようなことはしない・リスクが高すぎる
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言われたとおりの必ずできることだけやっていれば責任は問われずに済む
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当然、言われたとおりのことしかしなくなる
 ↓
言われたことしかできなくなる
 ↓
これが転じて
 ↓
言われたとおりのことしかしないので、
仕様がないからできない・要求が明確でないからできない、
とまで言うように育つ

自分の裁量で自由に発想・応用してほしいなら、
期限を厳しくフォローして責任を問うことはしない。
期限の遅れがあった場合に後で責任を問いつめれば、
自分の裁量で自由に発想・応用しなくなり、挑戦などリスク高すぎて即刻却下、
言われたことしかしなくなるわけ。